木崎甲子郎先生(元南極観測隊隊長)

歯いさい

2011年12月06日 10:46

おはようございます。

ご訪問ありがとうございます。

今日のカテゴリーは講演会です。

私は毎月1度、各界の著名な先生を講師としてお呼びして、
その先生のご専門のお話しを聴くというある会に参加しています。

いろんな先生の知識や経験談を聴くことで、少しでも歯科から逃げ出す、・・・
じゃ、じゃなくて、つ、つ、つまり足りなかった教養を高めるために
他の分野のことをもっと理解し学べるところは学ぶという
まぁ~そんな姿勢、悪く言えば欲のようなでもんで臨んでいます。フx~



お話しを伺う場所(パレット久茂地前)は毎回同じですが、
今回はクリスマス前ということもあって、イルミネーションが設置されていました。
(毎年これを見ると、またそろそろ年が増えるのかと思ったりします・・・)

今年も、もう12月ですね、ツリーを見ると一年は早かったな~と感じます。
我が家にはもうサンタさんは来ませんが、
いずれ来るのは、カンゴさんかカイゴさんかと思います。

          
           
それでは、今回の講師の先生をご紹介いたします。

木崎甲子郎先生です。 (琉球大学名誉教授)

第4次南極観測隊隊員、及び第21次の隊長を務めた南極を知り尽くした人物です。



先生は確か83歳とか、
とてもそのようなお年には見ないほど、一種の柔らかい覇気を感じさせるお方です。

最近、足をおけがされたそうですが、私どものようなマイナーな会の
お誘いも快く受けてくださり、本当にありがたく思いました。



お話しの内容は、南極j観測隊の結成時(昭和30・31年)の頃から始まりました。

まずは、南極に犬ぞりをつれて行くと構想のもと
犬ぞり作りをベルギーの設計図から習得、樺太犬の調達、
後藤直太郎氏から犬ぞり犬の訓練を伝授、そして稚内市や市民の温かい援助により
観測隊の形が出来上がったそうです。

第1次観測隊の頃の日本製の雪上車は故障も多く、犬ぞりは大変貴重な存在だったそうです。

その犬の中に、後に有名になったタロ、ジロがいました。

1年間南極に置き去りにされた犬たちの生存の話は
私が小学校の頃、学校の映画見学で観たような記憶があります。
 (昔は学校の授業の一貫として映画見学もありました
 正確には映画鑑賞といったほうがよかったかも・・・)

木崎先生が参加した第4次隊の頃には、
隊員たちが、それはもうタロとジロをペットのように可愛がったそうです。
(生存した犬たちの確認は第3次隊でした。)

昭和35年、ジロは南極基地で死亡し、剥製(現在、上野・国立科学博物館)となる。
昭和45年、タロは老衰の為北大獣医学部家畜病院で死亡。
14歳7ヶ月(人間換算年齢は90歳)。剥製にし、同大学農学部付属博物館に展示。

第4次観測隊の後は先生はソ連の観測隊にも同行したりと
ご自身でかなり積極的に活動を続け
第21次の隊長にも抜擢されたそうです。

この辺までの話で1時間以上も立ちながらのお話しでした。
まことに恐縮でした。
(以後のお話は割愛ということで・・・)



先生が若い頃からお書きになった水彩画のスケッチと当時の写真をもとに
75歳から始めた油絵を綴った先生の画集です。

この中には、南極だけではなく、地質学者として立ち寄ったチベット、ブータン
さらにはシルクロード、タクラマカン砂漠の風景画も含まれています。



2011年春、福岡市アジア美術館で開いた個展に展示した絵を中心に収納されています。
沖縄在住の永原達郎氏に師事を受けただけあって、モダンアートのようなシュールな
作品に感じられます。

そうそう、初期の観測隊のトイレについてお聞きしましたが
朝からこの話は書けませんので、残念ですが割愛いたします。



では、しばし南極の気分に浸るということで、
この辺で失礼いたします。

木崎甲子郎先生、ありがとうございました。

          (No589)

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